私たち子供のころ「道徳」を学びましたが、今も学校教育に組み込まれているようです。
道徳とは個人の内面にある善悪の判断基準を指しているようで、たとえば、「困っている人に席を譲る、嘘はつかない、挨拶をする」とした誰に強制されたわけではなく「そうすべき」という内面の規範ということでしょうか。一方、「倫理」といって、集団や、社会の中で「プライバシーを守る」「法令を遵守して不正を行わない」とした社会生活を営む上で共通の了解としての社会の規範と言ったところでしょうか。
ところが、この個人の良心「道徳」が「正しい」と信ずることと、社会や組織のルール「倫理」が求める「正しい行動」が、真っ向からぶつかることがあります。たとえば、弁護士のケースで、被告人が明らかに凶悪な罪を犯していると知っていても、弁護士の職業倫理としては、その被告人のために最善を尽くして弁護しなければなりません。しかし、個人の道徳としては「そんな悪人の弁護はしたくない」という対立が生じます。
そこで、ここで生じる「ねじれ(バグ)」を検証し、その整合性を保って最善を尽くすために必要となるのが、物事の見方や考え方、すなわち「世界観」による考察です。
この対立は、国家間の歴史のなかでも見られます。
「戦争は絶対ダメだ」という理想と「命(国)を守るためには戦うしかない」と言う現実。「黙っていたら殺される、だから殺される前に殺すんだ」と言う冷徹なロジック。いかなる理由があっても戦争は悪ですが、現実はそんな綺麗ごとでは済まないという矛盾が存在します。かつて日本が竹やりを持って本土決戦に備えようとしたのも、当時の特異な世界観がもたらした現実でした。
このように、すべての根底にあるのが「世界観」です。私たちは表面的な現象にとらわれず、その奥にある「世界観」を見抜くことで初めて、物事の真実を見出すことができるのではないでしょうか
行動を動かす世界観










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